10年ごしの時間旅行(小説)

子どものころ両親の仕事の都合で転校を経験した少女の物語。「カテゴリー:プロローグ」からお読みください。

【6】大好きな街を離れたあの日から、探しもの

 

親の転勤で転校をした。
大好きな友だちと別れ、12年間家族で過ごした大好きな街を後にしたあの日からー

 

何かを、永遠に手につかめない何かを、ずっと探してるんだ。
求めてもいない。
ただずっと、探してるんだ。

ずっと探してる。
いつだって。

夕方に香る火の燃えるバーベキューの匂い
イルミネーションがたくさんの夜景
住宅街の昼下がりの香り
晴れた日、青空の下、大きな音楽が鳴り響いてるイベント
クリスマスの装飾
桜香る暖かい空気
ショッピングモールのごはん屋さん
軽やかなヨーロッパの音楽
雨の日に聞こえてくる音
夜露に湿った草の匂い

探してるんだ。
そのかけらを。

ずっと、ずっと、
見つかるはずのない何かを探してる。

 

 

もしも、もしもいま、願いがたった一つだけ叶うのなら、
あの頃にひとときだけ時間を戻してほしい。

何かのまちがいが起こって、時空が歪んで、
一瞬だけ、時間が戻ってほしい。

 

1日だけでいい。1時間でもいい。
たったひとときでいい。
そのあとに起こることなんて何も知らず、
ただ大切な人たちに囲まれて、ただ愛して、愛されて、あのあたたかい空気の中で、
もう一度だけ、もう一度だけ、息を吸いたい。

1日でいい、一瞬でもいい。
あの温もりを、
お父さんも、お母さんも、私も、弟も、何も知らずにただ幸せだったあの頃を、
あの温もりの中にもう一度だけ。

 

 

【5】転校の別れのさみしさが、17年後に時間差でやってくる

親の仕事の都合で、中学入学と同時に転校した。
私が転校先に馴染めなかったことが原因で両親の意見の食い違いにつながり、家族が壊れた。

 

さみしいとか、帰りたいとか、感じてしまったら、新しい世界で生きていけないから。
帰りたいと思うことで、家族を悲しませるから。
だったら、そんな感情、捨ててしまえ。
さみしいとか、大好きな人に会いたいという感情に、蓋をした。そんなもの、ないことにした。

新しい街で過ごした中高6年間、ぐちゃぐちゃな人間関係、裏切りあいの世界で、常に気を張って過ごした。
誰かと一緒にいるとトラブルになる。トラブルになるとそこにはいられなくなる。そうすると学校に行きづらくなる。学校に行かないと家族が悲しむ…

だったら、人と一緒にいない方がリスクが少ない。もう人といるのがしんどい。

前の記憶に足を取られないために、新しい場所でうまくやっていくために、
転校してから6年経過し、さみしいという感情を感じなくなっていた。

 

誰も傷つけないために、そして自分も傷つかないために、一人で生きていけるようにならなくては。
困ったことがあっても、自分で調べて解決できるように知識をつけ、サービスに頼れるように収入を得て、武装した。
周りに誰もいなくても、一人で生きていけるように。

 

それで大人になり数年間は、安定して生きていけていた。

もうあんな苦い思いをしたくなくて、一つの場所に思い入れを強くしたくなくて、大人になってからもあちこち転々として暮らした。
いろいろな人に出会って、いろいろな価値観に触れて、毎日楽しかった。

 

しかし、周囲の人との離別などをきっかけに、子どもの頃の転校の別れのさみしさが、17年後に、時間差でやってくる。

さみしいと言う感情は、人に会いたいという感情は、二度と開かないように蓋をしてたはずなのに、周囲の人との離別をきっかけに、"ある日をかわきりに大好きな人たちに二度と会えなくなる" トラウマが思い出されて、声をあげて泣いた。まるで子どもの頃に戻ったみたいに。
子どもの頃に泣けなかった分を、大人になった今、時間差で。

時間が戻ってほしい。
あれほど近くにいたのに。
もう二度と戻らない時間。

ある日をさかいに、もう一生会えないんだ。
それまでは、あれだけ近くにいたのに。
もう、一生、会えないんだ。

離れないで、いかないで。

あれから何年も経つのに、もう大丈夫だと思ってたのに、
傷は癒えてなんかなかったんだ。

なくらないで。

ほんとは、一人さみしかった。
抱きしめてほしかった。
そばにいてほしかった。
そばにいたかった。
お願い。
一緒にいて。

もう大丈夫って思ってたのに、ぜんぜん大丈夫じゃなかった。

さみしい
いやだ
別れたくない
離れたくない
やだ
いやだ
いやだ

帰りたい
みんなに会いたい
ぎゅってして
抱きしめて

いやだ

 

自分のことを深く知ってくれている人の中にいるそのあたたかさを本当は知っていることに、蓋をしていたのに、思い出してしまった。

ずっとほしくて、でもほしいと思ってしまうと、家族が不幸になってしまうから、その感情に蓋をして。

こんなに苦しい。

やっぱり、みんなに会いたい。
もう一度だけ。
あの日に戻って。

いまだに、喪失感のトラウマで苦しんでいるの。
もう17年も経つのに。

みんなと別れたあの日から、景色が、いや世界が、変わってしまった。
そうこの感覚、ある日をかわきりに、世界が変わってしまうこの感覚、昔感じたことのある、この感覚。

触れてしまった。
蓋をし続けていたあの感情に。

無条件に、受け入れてもらえる場所が、ほしかった。

誰かと一緒にいたい。
そばにいたい。
これまでの17年はなんだったんだろう。
人が恋しい。
本当はそういう人間なのに、そう感じないようにして。
これだけつらい思いをしてきて。
なんだったんだろう。

誰も、誰も愛せなかった。
誰も、救いの手を差し伸べてはくれなかった。
誰かに、助けてほしかった。

仕方ないじゃん。
一人で生きていくしか、なかったんだもん。

人なんて信じられなくなった。
近づかない。
不用意に自分を見せない。
人から遠ざかって。

だから離れていく。
そうしてまた一人になる。ずっと一人。
あの日から。

さみしいという感覚を思い出した頃には、もう遅い。
人と繋がっていたい。温かさに触れたい。
でも、一人で生きた時間が長すぎて、どうしていいのかわからない。
転校したあの日から、深い関係性になるのをずっと避けてきたから、周りにそんな人がいない。
さみしい。ずっとさみしかった。孤独だった。
人と一緒にいたい。


これまでの17年間はいったい何だったんだろう。
一人で苦しんで生きてくるのに、どうして17年もの時間を捧げてしまったんだろう。

 

 

【4】転勤による転校、帰る場所がない

親の仕事の都合で、中学入学と同時に転校した。

 

幼稚園から小学校へ上がる時、小学校から中学校へ上がる時、中学校から高校へ上がる時、と、人脈が引き継がれていく。

自分をもともと知っていて受け入れてくれる人がいるから、新しい人間関係にチャレンジできるんだ。
新しい環境でうまくいかなかったとしても、戻ることのできる場所があるから、新しい場所へ出ていけるんだ。

でもそんな場所のない自分にとっては、今目の前にある環境にうまく溶け込めるかどうかに、生きるか死ぬかがかかっている。
だって、うまくいかなかった時に、帰る場所がないから。
目の前の場所で生きられないと、居場所がなくなってしまうから。
だから、大人になってもなんとなくずっと不安定で。

その人の前で泣けるくらい腹を割って話せる友人に、大学で出会っても、
その友人には小・中・高と一緒に歩んできて、喜怒哀楽を表せる地元の友人がいるんだろうなと。でも自分は一人なんだなと。

 

どこまでいっても自分は一人なんだと、底なしの孤独を感じる。

 

 

 

 

 

【3】転校先に馴染めないことで、家族を壊した

親の仕事の都合で、中学入学と同時に転校した。
新しい街は閉鎖的な雰囲気で、転校先の学校は排他的な空気感があることに対し、子どもながらに違和感を感じていた。
転校先に馴染めず、家に帰って口から出る言葉は「帰りたい」だった。


毎日帰りたいという娘を目の前に、母は日に日に弱っていった。
やっぱり、この子を転校させない方が良かったんじゃないか。あのままいさせてあげた方がこの子のためには良かったんじゃないか。
そんな子どもの様子を見て、母も新しい街のことを嫌うようになった。
母はしきりに「前いた街はよかったよね」と言い、新しい街のことを悪く言うようになった。
しかしそのたび、新しい街に家を買うという決断をした父の心に、影を落としていった。

 

毎日「帰りたい」と言う子どもに、父と母はまいり、なぜ転校させたのかと言いあいになり関係は悪化、離婚寸前だった。
これまで絵に描いたようなあたたかくてしあわせな家庭がうちの家族が、
ある日、壊れた。

私が家族を壊したんだー
取り返しのつかないことをした。

 

ごめんなさい
私が悪かったです
すべて私が悪かったです
みんなのこと、何も考えずに
自分が帰りたいからって
思う気持ちそのまま言って
帰りたい帰りたいって
ごめんなさいごめんなさい
もう言いません
もう帰りたいって絶対に言いません
ごめんなさいごめんなさい
人生を台無しにしてごめんなさい
しあわせになると描いていたであろう夢を壊してごめんなさい

 

良い感じの高級カーテンも、リビングの暖かな照明も、ふかふかのみんなが座れるソファも、大きな画面のテレビも、みんなで囲えるオシャレなテーブルも、念願の子ども部屋も、

全部、全部、子どもたちが笑顔で過ごすあたたかい空間を思い描いて、決められたものだった。

夢のマイホーム。
そう、しあわせな家庭。
そうなるはずだったんだ。

 

ごめんね。
夢、崩して。
人生、壊して。

しあわせになると描いていたであろう夢を壊したのは私だ。

 

自分を、殺したい。
この世でいちばん大切なものを奪った自分を。 

 

 

夕暮れ時のオレンジ色の空と土草の匂いに、キャンプを思い出す。
それだって、夏休みの何ヶ月も前から電話して、なかなか繋がらない中予約をとって。子どもたちの楽しみのために。

クリスマスのシーズン。
鮮やかに彩られたクリスマスの飾り。
知らない曲でも、耳にすればこれはきっとクリスマスの曲だとわかるような、クリスマス特有のメロディー。
街で見かけるクリスマスのシーズンのものを見ると、クリスマスの飾りに彩られたテーマパークを思い出す。

匂いも、音も、空気も、すべて。

私たち家族がまだ、何も知らなかった頃。
ただしあわせで温かな空間で。

それはずっと続くはずだった。


もう戻ってこない。
私が壊したんだ。

4人分の夢を、
大切なときを、
温かい日々を、
私が壊した。

 

 

【2】転校生、今この瞬間に、この世界にたった一人

親の仕事の都合で、中学入学と同時に転校した。

新しい街は閉鎖的な雰囲気で、転校先の学校は排他的な空気感があることに対し、子どもながらに違和感を感じていた。

クラスは、誰を信じていいのかわからない。
部活は、小学校のクラブの記憶を思い出して涙が出てくるからやめた。
家は、これ以上「帰りたいつらい」と言ったらまた家族を悲しませてしまう。
習い事は、引っ越しをきっかけに全部やめてしまった。
幼稚園や小学校からの友だちたちはもうこの世界にはいない。

どこにも私の居場所なんてない。

 

今この瞬間、この世界に、自分は一人なんだ。


 

中学生ということもあり、クラスは裏切りあいの世界だった。はみ出したら終わり。冷たい空気が漂う。
そんな環境で、誰のことも、小学校の時のように、心の底から友だちだと、大好きだと思える人が一人もいなかった。

引越し先の街にいた中高6年間、誰も愛せなかった。
全部、偽りの友情、見せかけの友情だった。うそをつく心が苦しかった。

 

今この瞬間、この世界に、自分は一人なんだ。


 

大好きな街に住んでいる友だちから、連絡が届く。年賀状が届く。
会いたいと言ってもらっているのに、自分から、絶った。

失いたくなかった。

共有できない時間が増えていって、知らない間にどんどん遠い人になって、離れていくのが怖かった。

今いる新しい街には、心から愛せる人がいない。一人もいない。
でも、昔住んでいた街には、大好きな人たちがたくさんいる。

心の底から愛する人が、この世界から消えることが怖かった。
知るのが怖かった。環境が変わったからではなく、自分が変わってしまったからだったら?もう一生、人を愛せない身になってしまっていたら?
愛する者が消えてしまったら、この世界に、本当に一人になってしまう。

だから、幼き日の記憶を、そのまま置いときたい。塗り替えたくない。
それがないと、私は立てない。

 

 

 

 

 

【1】10年ごしの時間旅行

 

小学校卒業と同時に親の仕事の都合で転校しあの街を出て以来、大好きな街に帰ることはなかった。

あの街に行くと、帰りたくなってしまうから。大好きなみんなと、一緒にいたくなってしまうから。記憶に足を取られずに、新しい世界で生きていかなくてはならないと、子どもながらに思っていたのもあった。

いやそれよりも、みんなと自分が共有しない時間が多くなって、大好きだった人たちが、どんどん知らない人になっていくのが、どんどん知らない街になっていくことが怖かった。

 

 

だけど、とある日、

大人になって、10年ぶりに、あの街に立ち寄った。

 

見覚えのある、いや、今でも鮮明に記憶の中にある、窓から見えている景色。

心臓が高鳴る。電車がゆっくりと減速していく。1秒がとても長く感じる。

プシュー…ドアが開く。

ホームに足を踏み入れたその瞬間、何かが奥深くから込み上げてきて、涙が溢れ出す。

よく知っている匂いがした。

 

この街は、生きてたんだ。私がいない10年の間も、生きてたんだ。

 

駅のホームに降り立ったその瞬間、匂いがした。

どこか懐かしいような、でも日常のような、よく知っている匂いが。

ずっとずっと、心の奥では恋焦がれていた匂いが。

その瞬間、涙がぼろぼろとこぼれてきた。

この街は生きてる。呼吸をしている。

 

駅前のパン屋さん、急こう配の石階段、道路を行きかう人々、青々と茂る草、自転車のチリンチリンという音、砂利がへこんでできた水たまり。

10年ものあいだ、いつもと変わらない時間が流れていたことがわかった。

そしてそこには、私が生きていた証がたくさん詰まっていた。

 

生きている。

この街は生きてたんだ。

私がいなくなってからも。

生きてたんだ。

なくなってはいなかったんだ。

私はここでたしかに生きてたんだ。

大切な人たちと、生きてたんだ。

なくなってはいなかったんだ。生きてたんだ。

 

青い空の下、次から次へと涙がこぼれ落ちて、声を上げて泣いた。

あの日から完全に止まってしまっていた自分の中の時計の歯車がゆっくりと動いたのを感じた。

 

155- エピローグ


彼女の転職後、彼女がどこでどうしているのか、ぼくは知らない。


わかっていた。最初から。
きみが探し求めているものは、僕はどうしたって届けられない。

どうしたって手に入らない。

それでも彼女は、そんな思いを胸の奥に抱えながらも、
何もなかったかのように、今日もこの青い空の下、どこかで生きている。