10年ごしの時間旅行(小説)

子どものころ両親の仕事の都合で転校を経験した少女の物語。「カテゴリー:プロローグ」からお読みください。

153- 10年ごしの時間旅行


見覚えのある、いや、鮮明に記憶の中にある、窓から見えている景色。
心臓が高鳴る。電車がゆっくりと減速していく。1秒がとても長く感じる。

プシュー
ドアが開く。
ホームに足を踏み入れたその瞬間、何かが奥深くから込み上げてきて、涙が溢れ出す。


よく知っている匂いがした。

この街は、生きてたんだ。
私がいない10年の間も、生きてたんだ。

駅のホームに降り立ったその瞬間、匂いがした。
どこか懐かしいような、でも日常のような、よく知っている匂いが。喉から手が出るくらい、恋焦がれていた匂いが。
その瞬間、涙がぼろぼろとこぼれてきた。
この街は生きてる。呼吸をしている。

駅前のパン屋さん、急こう配の石階段、道路を行きかう人々、青々と茂る草、砂利がへこんでできた水たまり。
10年ものあいだ、いつもと変わらない時間が流れていたことがわかった。
そしてそこには、私が生きていた証がたくさん詰まっていた。

生きている。
この街は生きてたんだ。
私がいなくなってからも。
生きてたんだ。
なくなってはいなかったんだ。
私はここでたしかに生きてたんだ。
大切な人たちと、生きていたんだ。
なくなってはいなかったんだ。
生きてたんだ。

青い空の下、次から次へと涙がこぼれ落ちて、
声を上げて泣いた。


あの日から止まっていた自分の中の歯車が動き出して、止まっていた時計が音を立ててゆっくりと動いた。


151- 探しもの


何かを、永遠に手につかめない何かを、ずっと探してるんだ。
求めてもいない。
ただずっと、探してるんだ。

ずっと探してる。
いつだって。

夕方に香る火の燃えるバーベキューの匂い
イルミネーションがたくさんの夜景
住宅街の昼下がりの香り
晴れた日、青空の下、大きな音楽が鳴り響いてるイベント
クリスマスの装飾
桜香る暖かい空気
ショッピングモールのごはん屋さん
軽やかなヨーロッパの音楽
雨の日に聞こえてくる音
夜露に湿った草の匂い

探してるんだ。
そのかけらを。

ずっと、ずっと、
見つかるはずのない何かを探してる。






150- いま、もしも願いが叶うのなら


もしも…もしも…
もしも願いがひとつだけ叶うのなら…

もう一度…

もしも、もしもいま、願いがたった一つだけ叶うのなら、
あの頃にひとときだけ時間を戻してほしい。

何かのまちがいが起こって、時空が歪んで、
一瞬だけ、時間が戻ってほしい。


1日だけでいい。1時間でもいい。
たったひとときでいい。
そのあとに起こることなんて何も知らず、
ただ大切な人たちに囲まれて、ただ愛して、愛されて、あのあたたかい空気の中で、
もう一度だけ、もう一度だけ、息を吸いたい。

1日でいい、一瞬でもいい。
あの温もりを、
お父さんも、お母さんも、私も、弟も、何も知らずにただ幸せだったあの頃を、
あの温もりの中にもう一度だけ。



149- 家族の楽しい時間を返して


夕暮れ時のオレンジ色の空と土草の匂いに、キャンプを思い出す。
それだって、夏休みの何ヶ月も前から電話して、なかなか繋がらない中予約をとって。子どもたちの楽しみのために。


クリスマスのシーズン。
鮮やかに彩られたクリスマスの飾り。
知らない曲でも、耳にすればこれはきっとクリスマスの曲だとわかるような、クリスマス特有のメロディー。
街で見かけるクリスマスのシーズンのものを見ると、クリスマスの飾りに彩られたテーマパークを思い出す。

匂いも、音も、空気も、すべて。

私たち家族がまだ、何も知らなかった頃。
ただしあわせで温かな空間で。

それはずっと続くはずだった。

もう戻ってこない。
私が壊したんだ。

4人分の夢を、
大切なときを、
温かい日々を、
私が壊した。




148- だれか…


大人になって思うこと。
あれから15年経って思うこと。

誰か…抱きしめてくれればよかったのに。


どんなに優しい笑顔も、どんなに勇気の出る言葉も、いらない。
ただそっと、ただそっと抱きしめてくれる人がいればよかったのに。


どうしてあの時、誰も助けてくれなかったの…?