10年ごしの時間旅行(小説)

子どものころ両親の仕事の都合で転校を経験した少女の物語。「カテゴリー:プロローグ」からお読みください。

【1】10年ごしの時間旅行

 

小学校卒業と同時に親の仕事の都合で転校しあの街を出て以来、大好きな街に帰ることはなかった。

あの街に行くと、帰りたくなってしまうから。大好きなみんなと、一緒にいたくなってしまうから。記憶に足を取られずに、新しい世界で生きていかなくてはならないと、子どもながらに思っていたのもあった。

いやそれよりも、みんなと自分が共有しない時間が多くなって、大好きだった人たちが、どんどん知らない人になっていくのが、どんどん知らない街になっていくことが怖かった。

 

 

だけど、とある日、

大人になって、10年ぶりに、あの街に立ち寄った。

 

見覚えのある、いや、今でも鮮明に記憶の中にある、窓から見えている景色。

心臓が高鳴る。電車がゆっくりと減速していく。1秒がとても長く感じる。

プシュー…ドアが開く。

ホームに足を踏み入れたその瞬間、何かが奥深くから込み上げてきて、涙が溢れ出す。

よく知っている匂いがした。

 

この街は、生きてたんだ。私がいない10年の間も、生きてたんだ。

 

駅のホームに降り立ったその瞬間、匂いがした。

どこか懐かしいような、でも日常のような、よく知っている匂いが。

ずっとずっと、心の奥では恋焦がれていた匂いが。

その瞬間、涙がぼろぼろとこぼれてきた。

この街は生きてる。呼吸をしている。

 

駅前のパン屋さん、急こう配の石階段、道路を行きかう人々、青々と茂る草、自転車のチリンチリンという音、砂利がへこんでできた水たまり。

10年ものあいだ、いつもと変わらない時間が流れていたことがわかった。

そしてそこには、私が生きていた証がたくさん詰まっていた。

 

生きている。

この街は生きてたんだ。

私がいなくなってからも。

生きてたんだ。

なくなってはいなかったんだ。

私はここでたしかに生きてたんだ。

大切な人たちと、生きてたんだ。

なくなってはいなかったんだ。生きてたんだ。

 

青い空の下、次から次へと涙がこぼれ落ちて、声を上げて泣いた。

あの日から完全に止まってしまっていた自分の中の時計の歯車がゆっくりと動いたのを感じた。