10年ごしの時間旅行(小説)

子どものころ両親の仕事の都合で転校を経験した少女の物語。「カテゴリー:プロローグ」からお読みください。

106- ひとり



生まれてから小学校までは、そのままの自分だった。
その自分しかいなかった。
そのままの自分をまるまる受け入れてくれて、愛してくれたのが、幼少期にお世話になった人たち。

その、まだ物心つかないような時期から私のことを知ってくれていた人たちが、もういない。
いや、正確にはいるのだけれど、もういま自分が生きている時間にはいない。

中学校からは社会だ。
そこでは社会性が重要視される。
小学校のときは、みんな友だちで知り合いだった。みんな幼馴染。
実際、私が通っていた学校は、転勤族も多く、出入りも激しかったけれど、それでも、そんな人たちがどこからともなく集まって一緒にいる。
席が隣だったらもうそれは友だちだし、出席順で順番が前後だったら友だちだし、お母さんの友だちの子どもは友だちだし。
その人がどんな人であれ、飾らないそのままの姿のその人に出会い、そのままのその人を知り、その人と一緒に暮らす。
それが小学生まで。

でも、中学校からは、ちがう。
クラスで、グループで、浮かないように、
排他的で激しい環境で、誰と付き合うのが自分にとって得策なのか、
だから、赤の他人の中から選んでもらうためには、魅力的な人にならなければならなかった。
付き合ってもらうためには、この人は面白いと思ってもらう必要があった。
そうすると、そのままの自分でなんていられない。
感じるままに行動してなんていられなくなる。
頭を使って、考えなければならないのだ。どうすれば付き合ってもらえるかを。選んでもらえるかを。
そうなると、必然的に、人の機嫌を伺い、顔色を伺い、声色を伺い、
その人がして欲しいようにするし、求められていることを言うし、
そこにはもう、自分というものは存在しない。
自分の色はサッと消すの。
表面の形の、自分をかたどった縁の部分だけが存在していて、その中に詰まっている部分がどんどん薄れていく。いや、中身なんてない。捨てた。
そうしないと、生き残れなかったから。

特に、周りの環境がリセットされ、まったくの新しい環境の場合、まずは自分という存在が存在する、ということから知ってもらわねばならない。
全神経は自分という存在を知ってもらい、多くいる人の中から、自分という存在を選んでもらうことに使われる。
そうしないと、生きていけないのだ。
何もかもがリセットされたこの環境では。
周りはみんなお互いを知っていて、でも自分ただ一人だけがみんなを知らなくて、そしてみんなもただ一人私だけは知らない。
そのような環境で13歳の少女たった一人で生きていく。

その瞬間から、10年間、
死んだように生きていた。
人が求めるように動き、求めるように発し、
自分は何も感じない。
感じてはならない。
生き残るためには。