10年ごしの時間旅行(小説)

子どものころ両親の仕事の都合で転校を経験した少女の物語。「カテゴリー:プロローグ」からお読みください。

69- 声を失う


中学3年生の時に、私はとうとう声を失った。半年間、学校では一言も声を出さなかった。


私の通っていた中学校では、クラス替えが、前年度クラスの仲良しグループを2つに分ける、という方法が取られていた。
例えば、前の学年のクラスの仲良しグループが4人いたとしたら、2人ペアに分かれて、新しいクラスに割り振られる。
クラス替えをきっかけに孤立するのを防ぐためだそうだ。
そのため、新しいクラスになってもだいたい最初からグループに分かれている。

しかし、中学2年生の担任の先生との関係がよくなかったからだろうか、
私は2年生のクラスのグループからは離された。というか、2年生で同じクラスだった人自体が少ない。
転校生なのに。
また、また、知ってる人が誰もいない環境かよ。まるでこの4月に転校してきたみたいじゃないか。

クラス初日、最初から、2年生のクラスでも仲良しグループだった人、部活の人、小学校が同じだった人で完全に分かれていた。

“他人” が入っていく余地なんてない。

グループに属していない人に声をかけることは、所属するグループを裏切る行為だ。
だから、一人でいる人に声をかけようものなら、自分が追い出される。
だから、誰も声をかけない。関わりたくない。
私が通った中学校は、そういう風土の学校だった。
転校生が少なく、流動性が低いことも、要因の一つなのだろう。
新しい人を入れない空気感だった。
だから、一度グループから浮くと、待っているのは終わりだ。
みんな自分を守ることに必死なのだ。

さすがに入っていけなかった。
休み時間も、移動教室も、昼食の時間も、一人で過ごした。
一言も、話さなかった。声を発さなかった。

授業と授業の10分休憩の間に机の上で寝ていて、次が移動教室なのにそのまま寝過ごしてしまって。誰も声をかけてくれない。
体育の授業では、どこに集合するかを一度でも聞き逃すと、もう永遠にわからない。
技術の授業では、一度で説明を聞いて理解しなければ、やり方を確認する手段がない。

聞き逃したことも、わからないことも、全部、全部、自分で解決しなければならなかった。
そう、
一人で動けるように、
一人で生きていけるようにならなければ。

朝礼が終わって、みんな普通に、楽しそうに友人同士で会話して教室に戻っていく。
なぜ自分にはその “普通” がないのか。

休み時間も、本を読んだりして過ごした。お弁当も一人で食べた。
学校にいる間は、本当に一声も声を出さなかった。
グループから追い出された子が声をかけてくれるまでの半年間、一言も発さなかった。


家へ帰っても、家族のしあわせを奪った自分が憎くてどうしようもない、大切な人の人生をぶっ壊した私なんてこの世にいない方がいい。
生きていてすみません、本当にすみません。

毎日早く卒業したい。それだけを考えて生きてた。
つねに3月のことが頭にあった。